東京大学浅野地区「向岡記」碑
(むかいがおかきのひ)保存処理と展示

東京大学浅野地区「向岡記」碑(むかいがおかきのひ)
保存処理と展示
原 祐一(東京大学埋蔵文化財調査室)

1.「向岡記」碑

 「向岡記」碑は、平成二十年(2008)、東京大学百三十周年記念「知のプロムナード」の学内整備に伴い、碑の保存処理、破損部分の修復を施し、東京大学浅野地区情報基盤センターに移築(予定)したものである。

 碑は、水戸藩九代藩主 徳川斉昭の自撰自書で、「向岡」(むかいがおか)(寛永寺が位置した「忍岡」(しのぶがおか)の向こう側の岡)に位置した水戸藩中屋敷(駒込邸)に建立された碑で、茨城県産の寒水石の転石が用いられている。後に、「弥生式土器」と呼ばれるようになる土器が、明治十七年(1884)に発見された「本郷区向ケ岡弥生町」の町名由来としても知られている。石材は、題額の「向岡記」は「飛白体」(かすれたい)で、碑文は草書体六三七字からなり、凹凸部分や割れ部分を避けて丁寧に勢いよく彫られている。斉昭は、「文政十萬梨一登勢止移布年能夜余秘能十日」(文政十一年(1828)弥生(三月)十日)、「向岡」の由来を碑に書丹し(碑に直接碑文を書くこと)、

 「名尓進於不 春爾向賀 岡難連婆 余尓多具肥奈岐 華乃迦計哉」
 (名にし負ふ 春は向ひが 岡なれば 世に類無き 華の影哉) と詠んでいる。